騒音と集中力と瞑想
インドで先ず体感することは、大気汚染に騒音公害。
(ブログ開設、最初の話題が否定的なのは避けたいところだけれど、仕方ない。)
大気汚染は後日に取り上げるとして、騒音公害について。
騒音公害。インド人にとっては全く騒音ではなく、公害だなんて思われたくないはず。
しかし、私には騒音でしかない。朝4時頃、近所のお金持ち宅の使用人たちが水浴びが始まる。大声で話しながら。ウガイがかなり煩い。同じ4時頃、近くの大きな寺院でお祈りが始まる。音痴なおじさんたちが唸っているようにしか聞こえないため、これまた煩い。狂わんばかりの鐘を鳴らす音が続く。その後、1日中、不必要に鳴らすクラクションが鳴り響く。デリーの、信号のある大きな道路や交差点でもクラクションを鳴らしていたのには驚いた。習慣は簡単には失せないものだ。
どうしたら、彼らのように騒音の中で暮らせるのだろう。どうしたら、騒音に慣れるのだろうか。
留学していたとき、明晰なインド人の友達がいた。
何処でも、何時でも、どんな状況でも文献を読んだり、ペーパーを書くことができた。「どうしたら、そんな風に集中できるのか」と質問したことがある。幼いころから、大家族の住む家で、勉強部屋など宛がわれずに勉強してきたので、騒がしい場所でも集中して勉強できるという。音がないほうが逆に落ち着かないとも言っていた。
たまたま、今日、茂木健一郎のブログを読んだら、ビンゴのことが書かれていた。
そのタイトルも、「脳を活かす勉強法、『どこでやるの?』『居間でしょ』」。
茂木健一郎によると、「ノイズがある環境で敢えて勉強することで、集中力の負荷トレーニングができる」そうだ。
翻って。
そういえば、私は、騒音に悩まされると、瞑想を学びたいと希求する傾向がある。
インドなどにいると、まぁ、「マインドフル」とか言う人の人数が増えるなどの諸条件が、いろいろとあるのも確かだけれど、瞑想の必要性が高まるということなのだろう。
騒音のある環境で敢えて瞑想することで、集中力が高まり、瞑想も上達する。そうすれば、騒音なんて気にならなくなる。ということを、知らず知らず、感じている…ということかしら、ね。
結局、慣れなんだろうな。
(あ、でも、自分も同じ音量を発するようになるならば、慣れないでいいや。)
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