インド良いとこ、一度はお出で。


自殺する前にインドに来ればいいのに…。
と、思う。

電通の自殺した女性。
彼女の死のお陰で、日本の拷問的な仕事環境は変化しつつある。心から感謝。

その一方、仕事でも、どんな理由にせよ、
自殺する必要は、ない。
インドにいて、そう思う。

「インドでは、日本とは比べようもなく過酷な状況でも、一生懸命生きている人々もいる。恵まれている環境に生きているのに、自殺するなんて、勿体ない!」と主張する人もいる。私自身、そうだなっと思うことも、たまに、ある。死ぬ気になれば、何でもできるだろうし。自殺する前に、過酷な暮らしをしている人たちを助けてから、死んでもいいんじゃないかな?って。

それは、そうなのだけれど、でも、ね。

自殺するほど、悩む必要ってあるのかしら?って、思うことのほうが多い、かな。

ここ数カ月の間に、聞いた「言い訳」のイロイロ。
たくさんあるので、「遅刻の理由」だけに絞ってみると、

●子供を学校に送っていったから。
●久々に妹が遊びに来たから。
●別の仕事で、朝の5時まで働いていたから。
●昨日、残業したから。
●村の宗教行事に参加していたから。

あり得んだろー!

こんな理由、言い訳、屁理屈がまかり通ったら、仕事にならん!
こんなことを平気で言える輩は、首だー!
こんな社員を寄越す会社とは、取引きせん!


っと、思うのは、日本人の私。

が、しかし。

首にも、取引終了にも、ならない。
首にも、と取引終了にも、できない。
あーら、不思議。
こういう理由が、言い訳でも屁理屈でもない社会だから。
これぞ、ご当地ならでは…のこと。


翻って。
ここでのインド人の理由、言い訳、屁理屈が言える風潮だったら、
電通の君は、自殺しなかったと思う。

子供を学校に送るのも、久しぶりに会った妹とできるだけ時間を過ごすのも、疲れている身体を労わるのも、自分の属している共同体の活動に従事する…。仕事だけが全てではないという視点に立つならば、「当たり前」だもの。重要だもの。

サルトル(ニーチェだっけ?)が、奴隷は、主人との関係において奴隷の立場であることを自ら認る、そうでない限り、不服従の関係は成り立たない、といったことを言っていたと思う。帝国主義時代の黒人奴隷といった組織的な奴隷制度を一緒に扱うのはどうかと思うけれど、日本のブラック社会の文脈に限って言えば、当てはまるハズ。奴隷的な立場を自ら選ぶ必要は、ない。

自殺する前に、インドに来たほうがいい。
良い意味でも、悪い意味でも、いろいろなことが、どうでもよくなる。

っということが多い。
(そして、執筆者のように、白黒はっきり言えることがなくなり、歯切れが悪くなるのも確か。)

日々是好日―インド編

2016年、12年ぶりにインドに戻った。 理由はたくさんあるけれど、最大の理由は「原点回帰」。 インド人は、私にとって宇宙人だ。12年前、大嫌いになって、「二度とインドとは本気で付き合わない」と思って去った。それなのに、今、またインドにいる。縁(或いはカルマ)があるということなのだろう。 ロマンチサイズしなくなった今こそ、インドを再考してみたい。彼らの底力の何かしらを掴めるかもしれない。

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