インドの婚姻


…という題目で、学位論文を書いたなっと遠い過去を思い出しながら、
現在のインドの婚姻について備忘録。

その前に。インドの婚姻に関する私の思索履歴をまとめると、
上記の学位論文を書いたのは1990年代。
1980年代に、ダウリ(花嫁側から花婿側への婚資)に関連する殺人事件が相次いだ理由や、カースト制度との関係、その後の対策に興味があったから。
2000年代にムンバイで別テーマで現地調査をしたときも、社会を見る上で婚姻事情に触れないわけにはいかないので、婚姻については、何かと人々に質問した。ダウリに関してムンバイの中間層の人たちは全般に否定的だった。披露宴に招待され、プレゼントを用意しようとすると、
「Presentは要らない。必要なのは、あなたのPresence」と言われたものだ。
とはいえ、普段は耳にしない「カースト」という言葉が、婚姻となると当然のように人々が言及する様子に、「婚姻は社会の基本なんだな」っと再認識したのを覚えている。

2017年の今日。
改めて、「婚姻は社会の基本」だと思う。
婚姻に対する考え方が変わらない限り、社会は変わらない、と言って過言ではないとも思う。
(旧態依然であり続ける、と言ったほうが適切かも。)

現在、PhD(博士)課程の学生たちと接することが多い。
当初、女性の人数の多さに驚いた。
PhD課程となれば、どんなに若く見積もっても20代前半から30代前半。
彼女たちは、「行き遅れ」や「負け組(死語?)」の部類に入ることに躊躇しなかったのか?
インドの女性にとって結婚しないことは、日本よりも過酷なハズだぞ?
っと、疑問に思っていた。

数カ月、彼女たちの様子を観察。
中には、どう考えても研究に向いていない、実際に勉強していない女性の姿も見受けられることに気付いた。彼女たちと若干親しくなり、私的な質問もできるようになった。ので、彼女たちの結婚の予定を聞いてみた。

PhD課程の最終年には結婚する予定である女性が多い。
相手が決まっているわけではない。
恋愛結婚も珍しくはないけれど、親が相手を見つける見合い結婚が今日でも主流であり、「きっと、親が今頃、探している」らしい。
上記、研究向きではないと思われる女性に至っては、「親が結婚前にPhDを取るようにと言った。その方が将来性のある花婿を見つけることができるから」とのことだ。

PhDも、「良い」婚姻のための交渉「材料」となっている、わけだ。
(高学歴過ぎて結婚が逆に難しくなる、というのは、インドには当てはまらない?中上流社会はPhD取得が結婚へのライセンス?)

確か、1990年代に調べたときも、中上流社会層の学歴と婚姻の関係は、そうだったっけ。
女子の教育に対して、中上流社会の親が熱心になり始めた最大理由が、「結婚に有利だから」だった。
それが今や、PhDレベルになったということなんだな。



女性の高学歴化に加えて、今回の滞在で見る顕著な特徴は、
カースト意識が強いこと。
ヒンドゥー教徒の聖地と言われている場所柄も、
昨今のヒンドゥーナショナリズム色の強い政治情勢も影響しているだろう。
とはいえ。
20代の若者の、低カースト(や異なる宗教をもつ人々も含む)に対する拒絶感には唖然とする。
婚姻に関わると、それが「当然の反応」として表れる。

冒頭に述べたように、婚姻は社会の基本。
民主主義国家であることを自己自賛この上ないインドにおいて、カースト制度が未だに維持されている原因の一つがここに見られる訳だ。
(かなり陳腐な結論だけれど、ブログとしてはOKだろう。)
(カースト意識については、また別の機会に別の視点から備忘録をつけておきたいと思っている。)

翻って、日本。
結婚の減少、それに続く少子化。
婚姻が社会の基本であるのならば、婚姻が減れば社会が傾く。
衰退は免れない。


ついでに、私が未婚であることに対する、インド人の対応も書いておこう。
2000年代の2年間弱、ムンバイにいたときは、30歳前後だった。
未婚であることに、かなり驚かれ、「大丈夫か?」「何か問題があるのか?」「親は何をしている?」と心配されたものだ。

2017年の今日。
日本人は若く見られることもあり、未だに「未婚なのか?! 大丈夫か?!花婿を探してやる!」と心配してくれる。ありがたいこった。
(「Groom」と「Room」を聞き違い、「Roomを探してくれる?既に部屋はあるんだけれど?」と怪訝に思いながら話の流れが長々とみえなかった私。groomが、言葉でさえピンとこない、どうでも良くなっている状態?であることに気づいて失笑。マズイ!)

「料理はできるのか?」「料理をしているのか?」と聞かれ、
「ハイ」と答えると、
「良し!それならば大丈夫だ」と言われた。

女性=料理を作る。

ま、基本なんだな。
私は、ラディカル・フェミニストではないので、素直に、そう思う。
(私が料理を上手にできるかどうかは、別問題。)

女性であって、料理さえ作れれば、花婿は見つかる。それ以外はどうでもいい。結婚しないのはオカシイ。
少々、極端だけれど、そんな風にインドでは多くの人が婚姻を見ている、と。
(しつこいが、ブログとしてはOKな結論のはず。)

そして、改めてインドについて感じることは、
彼らは至って、合理的。

日々是好日―インド編

2016年、12年ぶりにインドに戻った。 理由はたくさんあるけれど、最大の理由は「原点回帰」。 インド人は、私にとって宇宙人だ。12年前、大嫌いになって、「二度とインドとは本気で付き合わない」と思って去った。それなのに、今、またインドにいる。縁(或いはカルマ)があるということなのだろう。 ロマンチサイズしなくなった今こそ、インドを再考してみたい。彼らの底力の何かしらを掴めるかもしれない。

0コメント

  • 1000 / 1000